FROM:Weekly Akita Press Editorial Room
<< May 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 旧池田氏庭園にて | main |
生誕100年

仙北市出身の写真家・千葉禎介さんの生誕100年記念写真展が県立近代美術館で開催されている時にこんな話題は失礼かもしれませんが、明日12月30日はユージン・スミスの生誕100年に当たります。そんな訳で昨日、彼の写真集2冊を図書館から借りてきました。

 

ウィリアム・ユージン・スミスは1918年12月30日、アメリカに生まれました。第2次大戦中は特派員として従軍、サイパンや硫黄島の対日戦を撮影しています。終戦の3ヵ月前、彼は沖縄で重傷を負いましたが、2年に及ぶ療養を経て再び第一線に復帰し、「LIFE」誌などで活躍。1957年、国際的写真家集団「マグナム・フォト」の正会員に名を連ねます。

 

※マグナム・フォト公式サイトのプロフィール紹介

 

その後、1970年にスミスは米国人の父と日本人の母を持つ女性と結婚し、日本で起きていた公害事件「水俣病」を夫婦で取材。その過程で企業側が雇ったとされる暴力団員に襲われ、片目を失明するという大怪我を負っています。しかし、その経験を経て彼はさらに問題意識を深め、暴力に怯むことなく発表した作品群は「ミナマタ」と「チッソ」の名を世界に知らしめたのでした。

 

私がスミスを知ったのは中学生の頃。コントラストを強調したモノクロの作品に大きな衝撃を受け、トライX(Kodak社製モノクロ・ネガフィルム)の増感現像、硬調の印画紙への焼き込みなどという手法を真似たりしたものです。彼の作品は暗室で徹底的に作り込まれ、写実主義とは程遠いものでしたが、それはむしろ写真とは何かを考えるキッカケになったように思います。

 

スミス自身は、写真が見たままの「真実」を写すとは考えていなかったようですが、被写体と読者に対する責任を果たすことを自身に科していたそうです。そのスミスが残した写真は、ジャーナリストによる映像記録というよりも、ドキュメンタリー作家が作り上げた作品といえるのかもしれません。

 

なお、水俣病が初めて確認された1956年から半世紀以上を経た2016年2月末現在、存命の認定患者数は2280人(熊本県1787人、鹿児島県493人)。公害の苦しみは今なお続いています。

 

Eugene Smith