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佐竹城下を歩く20 - 百三段 -


  ▲旧雄物川の東側から勝平山麓を望む


 ▲緑の矢印が撮影場所 大きな地図で見る

百三段と書いて「モモサダ」と読む。毛毛佐田の表記もある。いずれも当て字である。浜田・新屋・石田坂の総称で、今でもこの地区の人はこの地名を使うことがある。

語源は、坂上田村麻呂が朝敵の豪族・女米木の夜叉鬼を攻めて男鹿に逃げたのを追撃し、新屋の大川(雄物川)を渡るのに柴百駄を集め、筏にして渡った故事に因る。

百三段は昔、勝平山南麓にあったが、天長7(830)年正月3日の大地震で壊滅、住民は現在地に移住したと伝えられている。近世初めは最上領であったが、元和8(1622)年に最上氏が改易となった。このとき、佐竹義宣が幕府に願い出て、仙北の江原田・木売沢と交換して佐竹領となった。

交換を願い出た最大の理由は、大川をひとつ隔てた他領があまりにも窪田城下に近かったことと、雄物川舟運を独占したかったからである。後世、これが大正寺事件として亀田藩との紛争の遠因となる。

外様大名で、しかも関ヶ原の科がある佐竹氏がこれを願い出られるということは、義宣と徳川秀忠の信頼関係がいかに厚かったかを物語っている

【歴史作家・土居輝雄】

※土居さんの「佐竹城下を歩く」は週刊アキタに好評連載中。