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佐竹城下を歩く19 - 下北手古道 -


  ▲近年になって、古道のルートは広域農道として整備された。
     高速道路のICも付近にあり、車の往来は激しい。


 ▲緑の矢印が撮影場所 大きな地図で見る

佐竹氏が入部して間もなく、羽州道は湊から寺内・窪田を通り、牛島・目長田を経て豊島に至る近世羽州街道となった。

それ以前は、湊から今の外旭川・手形山・下北手を通って旧河辺町の畑(はた)へ通じる道であった。この道は生活道路としてその後も利用され、昭和30年代でも結構往来があった。

しかし、昭和40年代に入ると車社会になって歩く人もなくなり、昭和50年代になると河辺町の畑と秋田市下北手の宝川の間は道の跡形すら消え去り、幻の街道と呼ばれるようになった(現在は広域農道が開通)。

筆者が昭和58年にこの道を下北手側から踏査したときは、木が覆いかぶさって藪が高く繁茂し、泳ぐようにしてかき分けながら登り下り、やっとの思いで目的地の畑にたどり着いたことを覚えている。

慶長9(1604)年、幕府の命令で一里塚の制定による近世羽州街道ができるまで、窪田からはこの宝川・畑の間の道のほかに、今の上北手を通って豊島に至る道もあった。この上北手古道は、羽州街道ができてからも長雨や洪水の際に、迂回路としてよく利用された。

【歴史作家・土居輝雄】

※土居さんの「佐竹城下を歩く」は週刊アキタに好評連載中。